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広島地方裁判所 昭和50年(行ウ)5号 判決 1988年7月07日

広島市中区銀山町九番一三号

原告

亡金子修郎訴訟承継人

金子郁子

右同所

金子富久子

右両名訴訟代理人弁護士

相原勝美

広島市中区上八丁堀三番一九号

被告

広島東税務署長

赤木忠重

右指定代理人

宮越健次

大山茂人

川村龍三

土井哲生

大土井秀樹

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が、訴訟承継前の原告亡金子修郎(以下「亡修郎」という。)に対してなした以下の各処分を取り消す。

(一) 昭和四六年三月一二日付け同四〇年分所得税更正処分のうち総所得金額一二九万七六二三円を超える部分並びに過少申告加算税及び重加算税の各賦課決定処分

(二) 同四六年五月二九日付け同四一年分所得税更正処分のうち総所得金額一二九万七四八一円を超える部分並びに過少申告加算税及び重加算税の各賦課決定処分

(三) 同日付け同四二年分所得税更正処分のうち総所得金額一六七万八九〇〇円を超える部分並びに過少申告加算税及び重加算税の各賦課決定処分

(四) 同日付け同四三年分所得句税更正処分のうち総所得金額二三五万七五二三円を超える部分並びに過少申告加算税及び重加算税の各賦課決定処分

(五) 同日付け同四四年分所得税更正処分(被告の同四六年一〇月一四日付け異議決定による一部取消後のもの)のうち総所得金額二六五万円を超える部分並びに過少申告加算税及び重加算税の各賦課決定処分

(六) 昭和四八年八月一三日付け同四五年分所得税更正処分(国税不服審判所長の同五〇年一月三一日付け裁決による一部取消後のもの)のうち総所得(損失)金額二六万九九二七円及び分離長期譲渡所得金額一三六〇万円を超える部分並びに過少申告加算税の賦課決定処分

(七) 同日付け同四六年分所得税の分離長期譲渡所得金額を八九五万〇三一〇円とする更正処分

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  亡修郎は、被告に対し昭和四〇年分ないし同四六年分の所得税について別表1の課税処分表一ないし七の「確定申告額」欄記載の内容の確定申告書を法定期間内に提出したが、更に、同四〇年分ないし同四四年分の所得税について右課税処分表一ないし五の「修正申告額」欄記載の内容の修正申告書を同欄記載の日に提出した。

2  被告は、亡修郎に対し同人の修正申告に係る納付すべき本税の額に対する加算税として国税通則法六五条一項の規定に基づき右課税処分表一ないし五の「賦課決定額」欄記載の内容の過少申告加算税を賦課決定した。

3  その後、被告は、原告に対し亡修郎の昭和四〇年分ないし同四六年分の所得税について、同法二四条の規定に基づく更正処分、同法六五条一項の規定に基づく過少申告加算税の賦課決定処分及び同法六八条一項の規定に基づく重加算税の賦課決定処分を右課税処分表一ないし七の「更正、賦課決定額」欄記載の内容のとおりそれぞれ行い、同欄記載の日付で亡修郎にその旨の通知書を送達した。

4  亡修郎は、右各処分を不服として、被告に対し右課税処分表一ないし七の「異議申立額」欄の「年月日」欄記載の日にその取消しを求める異議申立書を提出した。これに対して被告は、昭和四〇年分ないし同四三年分、同四五年分及び同四六年分に係る異議申立てについては、理由がないとして右課税処分表一ないし四、六、七の「異議決定」欄の「年月日」欄記載の日付で棄却の異議決定をなし、昭和四四年分に係る異議申立てについては、一部理由があると認め、右課税処分表五の「異議決定額」欄記載の内容のとおり昭和四六年一〇月一四日付けで原処分の一部を取り消す異議決定をなし、それぞれ亡修郎にその決定書謄本を送達した。

5  亡修郎は、更に右異議決定を不服として右課税処分表一ないし七の「審査請求額」欄の「年月日」欄記載の日に国税不服審判所長に対し審査請求をした。これに対して、国税不服審判所長は、昭和四〇年分ないし同四四年分の審査請求については理由がないと認め、昭和四九年一二月二四日付けでこれを棄却する裁決をなし、昭和五〇年一月二二日右裁決謄本を亡修郎に送達し、右書面は、同日同人に到達した。昭和四五年分の審査請求については一部理由があると認め、昭和五〇年一月三一日付けで右課税処分表六の「審査裁決額」欄記載の内容のとおり原処分の一部を取り消して過少申告加算税の一部を取り消すとともに、重加算税の賦課決定処分の全部を取り消す裁決をなし、昭和四六年分の更正処分に対する審査請求については、理由がないと認めてこれを棄却する裁決をなし、同年分の重加算税の賦課決定処分の審査請求については、理由があると認めて同処分の全部を取り消す裁決を昭和五〇年一月三一日付けでなし、同年二月一二日右両年分の裁決書謄本を亡修郎に送達し、右書面は、同月一三日同人に到達した(以下、右異議決定又は裁決により一部取り消された後の被告の右各処分を「本件各更正処分」、「本件各賦課決定処分」という。)。

6  しかし、本件各更正処分及び本件各賦課決定処分には、次のような違法事由がある。

(一) 亡修郎の昭和四〇年分ないし同四四年分の所得金額は、それぞれ右課税処分表一ないし五の「修正申告額」欄の「総所得金額」欄記載の金額のとおりであり、同四五年分同四六年分の所得金額は、それぞれ右課税処分表六及び七の「確定申告額」欄の「総所得金額」欄記載のとおりである。したがつて、右各申告額を超える所得を認定した被告の本件各更正処分は、違法であり、本件各更正処分を前提としてなされた本件各賦課決定処分も違法である。

(二) 昭和四〇年分ないし同四二年分に係る本件更正及び各賦課決定処分は、国税通則法七〇条一項に定められた処分の制限期間である三年の期間経過後になされた違法がある。

(三) 被告は、本件各更正処分及び各賦課決定処分をするに当たり、亡修郎に対する物品税法違反事件の調査により収集した資料を基礎として用いているが、これは、所得税法二三四条二項の規定の精神に反するものであり、本件各処分は、違法である。

7  亡修郎は、昭和六〇年一一月二五日死亡して、妻の原告金子郁子(以下「原告郁子」という。)及び長女の原告金子富久子が相続した。

8  よつて、原告らは、請求の趣旨記載のとおり本件各更正処分及び本件各賦課決定処分の取り消しを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1ないし5、7の各事実は認め、同6は争う。

三  被告の主張

1  本件各更正処分の適法性について

(一) 事業所得

(1) 推計課税の必要性及び合理性

ア 亡修郎は、昭和三三年ころから「大和屋」の名称で質業、貸金業、古物業、貴石製品等販売業を営み、昭和四四年九月ころから「三越百貨」の名称で古美術品販売業も営んでいた。

イ 同人は、前記のとおり昭和四〇年分ないし同四四年分の所得税について確定申告及び修正申告をしたが、右申告は、警察署指定の質物台帳(以下「法定帳簿」という。)に基づいてなされたものであるところ、これのみでは、同人の各事業の全般にわたる所得金額を把握することは不可能であつた。また、被告は、同人の物品税法違反事件の押収物件である「昭和四四年度」と表記された帳簿(以下「裏帳簿」という。)及びメモ(以下、右帳簿及びメモを合わせて「裏帳簿等」という。)を入手し、これと法定帳簿とを比較したところ、貸付金額等について相当の格差があり、また、裏帳簿には、法定帳簿に記載されていない貸付金が存在するなどし、法定帳簿には、同人の商取引の一部が記載されているにすぎず、多額の計上漏れの取引があることが判明した。また、裏帳簿の入出金のうちには、原因不明のものがある。ほか、裏帳簿には、事業に係る棚卸商品の有り高、貸付金残高や必要経費の記載がないなど、裏帳簿自体も内容的に不完全なものであつた。

ウ そこで、被告は、同人に対し裏帳簿等に基づいて所得金額の説明を促し、資料の提出を求め、また、裏帳簿に記載されている入出金のうち原因不明のもの等について具体的な説明を求めたが、同人は、これに応じなかつた。更に、被告は、昭和四三年分以前についても昭和四四年分の裏帳簿等に相当する帳簿及びメモの提示を求めたが、同人は、そういうものはないと回答するのみで、被告の調査に協力しなかつた。

エ 他方、被告の調査担当者が同人の取引金融機関を調査したところ、昭和四〇年から同四四年までの間、同人は、広島信用金庫銀山支店、広島銀行銀山支店及び広島相互銀行本店に架空又は仮装名義の預金をしていることが判明した。これらの預金は、法定帳簿及び裏帳簿等にも全く記載されておらず、かつ、同人の申告額によつては、到底預け入れることができない額であつた。

オ 以上により、被告は、亡修郎の所得金額を実額による収支計算で算定することは不可能であつたところから、やむを得ず推計により所得金額を算出することとし、その方法として、同人の営む業種が多岐にわたつていること、その取引形態が現金を主体としていることなどから、資産負債増減法によることにしたものであり、右方法は、合理的なものである。

(2) 資産、負債等の各科目についての被告認定額の正当性

被告は、資産負債増減法によつて別表2の資産負債調記載のとおり、亡修郎の昭和四〇年分ないし同四四年分の事業所得を算定したが、このうち争いのある科目の算出根拠は、以下のとおりである。

ア 預金(右資産負債調の「科目番号」欄1記載、以下、同欄の番号のみ記載」亡修郎の昭和四〇年一月一日現在及び同年ないし同四四年までの各年末現在における預金残高の明細は、別表3の預金残高明細表一ないし六記載のとおりであるが、次のaないしkの各事業を総合すると、右預金のうち、同人名義以外の名義預金も同人に帰属するものというべきである。

a 渡辺育子名義預金

亡修郎自身が、昭和四四年一二月三一日現在の広島相互銀行本店の右渡辺名義通知預金三〇万円(預金番号四〇五二九)は、自分の預金であると供述している。

b 加藤巌、河野一三、吉森博明各名義預金

(ア) 亡修郎は、広島銀行銀山支店の次の各定期預金を同人の同支店からの借入金の担保として差し出している。

預金番号 金額(円) 預金者名義

(昭和四三年一二月三一日現在)

四六-三〇九四 五〇万 加藤巌

四六-二七六九 五〇万 河野一三

四六-一五三 六四万 吉森博明

四六-一五六 二八万五〇〇〇 同

(昭和四四年一二月三一日現在)

B四八-八九 五〇万 加藤巌

D四七-七七五 五〇万 河野一三

D四八-二〇三 三〇万 吉森博明

(イ) 右吉森博明名義預金六四万円については、昭和四四年一〇月二三日に解約され、そのうち五〇万円が亡修郎の同支店からの借入金一八〇万円の弁済に充てられている。

c 金子郁子、同富久子、同政(正)子、同タカ、宮本正、松島修一各名義預金

(ア) 広島信用金庫銀山支店の右各名義預金の印鑑として、いずれも亡修郎名義預金と同一の印鑑が使用されている。

(イ) 亡修郎は、広島信用金庫銀山支店の次の各定期預金を同人の同支店からの借入金の担保として差し出している。

預金番号 金額(円) 預金者名義

(昭和四〇年一二月三一日現在)

A三九-一〇八五 二三万七五五三 金子郁子

A三九-一〇八六 二九万六九四八 金子正子

A三九-一〇八七 三五万六三三一 金子富久子

(昭和四〇年一二月三一日現在)

A三九-一七八七 五六万〇〇九六 金子タカ

A三九-一二五八 三一万二五二九 金子政子

(昭和四一年一二月三一日現在)

A四〇-一八七五 五八万八四八四 金子タカ

A四一-四四五 三二万八四〇八 金子政子

d 宮本正、松島修一、藤岡勝、河内一之、梅田孝光、三浦正敏各名義預金

右各預金は、いずれも広島信用金庫銀山支店が同支店の亡修郎に対する貸付金の担保として管理していた。

e 梅田孝光、金子富久子、金子郁子各名義預金

広島信用金庫銀山支店の梅田孝光名義定期預金四〇〇万円は、昭和四一年一二月三一同支店の次の亡修郎ら名義の預金から払い出されたものが、次の亡修郎ら名義の預金から払い出されたものが、同日預け入れられたものである。

元金(円) 利息(円) 源泉所得税(円) 差し引き払い出した金額(円) 預金者名義

三〇三万三八〇九 一万四三八九 一四三八 三〇四万六七六〇 金子修郎

三六万七九五九 一万三六七八 一三六七 三八万〇二七〇 同

三九万四〇八五 二七一二 二七一 三九万六五二六 金子富久子

二六万二七二一 一八〇八 一八〇 二六万四三四九 金子郁子

(払い出した金額の合計額) 四〇八万七九〇五

f 梅田孝光、三浦正敏各名義預金

昭和四四年一月九日、右eの梅田孝光名義定期預金の利息一九万三〇〇一円(二二万七〇六〇円の利息からその源泉所得税三万四〇五九円を控除した金額)と三浦正敏名義定期預金四〇万円の利息一万九三〇一円(二万二七〇六円の利息からその源泉所得税三四〇五円を控除した金額)が引き出されているところ、右各利息は、翌日同支店に三浦正敏名義の定期預金二一万二三〇二円として預け入れられている。

g 梅田孝光、宮本正、三浦正敏各名義預金

昭和四三年一月四日に引き出された前記eの梅田孝光名義定期預金の利息一九万八〇五一円(二二万六四四八円の利息からその源泉所得税二万八三九七円を控除した金額)、宮本正名義定期預金一八万円、その利息三八円(四四円の利息からその源泉所得税六円を控除した金額)呼びその給付補てん備金三九〇〇円に現金一万八〇一一円が追加されて、同日同支店に三浦正敏名義の定期預金四〇万円が預けられている。

h 松島修一、三浦正敏各名義預金

広島信用金庫銀山支店の松島修一及び三浦正敏名義の次の各定期預金は、昭和四五年五月一五日いずれも通常の一年未満定期預金から自動継続定期預金に預け替えられており、その預金番号も連続している。

預金者名義 預金額(円) 満期日(昭和年月日) 自動継続預金に預け替えた日(昭和年月日) 預け替えた預金額(円)

松島修一 一五万九八〇三 四五・三・二四 四五・五・一五 一六万八五四一

同 三四万四六三七 四五・五・二 四五・五・一五 三六万一六四九

i 宮本正、藤岡勝各名義預金

広島信用金庫銀山支店の宮本正及び藤岡勝名義の次の各定期預金は、昭和四四年二月三日及び同四日にいずれも通常の一年満期定期預金から自動継続定期預金に預け替えられており、その預金番号も連続している。

預金者名義 預金額(円) 満期日(昭和年月日) 自動継続預金に預け替えた日(昭和年月日) 預け替えた預金額(円)

宮本正 五一万三九一三 四四・一・二五 四四・二・三 七三万六九六四

同 一八万八七八五 同 同

藤岡勝 一〇万 四三・一〇・一六 四四・二・四 一〇万六二〇四

j 藤岡勝、河井一之各名義預金

広島信用金庫銀山支店の藤岡勝及び河井一之名義の次の各通知預金は、その引出しが昭和四三年二月二〇日と同一日であり、かつ、その領収の筆跡も同一である。

預金の種類 預金番号 金額(円) 預金者名義

通知 四二-二〇八 五〇万 藤岡勝

同 四二-二五一 五〇万 河井一之

k 河井一之、河内一之各名義預金

広島信用金庫銀山支店において、昭和四二年一二月二日に引き出された河井一之名義通知預金二〇〇万円のうちの一四〇万円が同月一一日から同月一九日までの間に次のとおり河内一之及び河井一之名義の定期預金又は通知預金として同支店に預けられている。

預金名 番号 金額(円) 名義 預入年月日(昭和年月日)

定期 四二-一六〇〇 四〇万 河内一之 四二・一二・一一

通知 四二-二三九 二〇万 河井一之 四二・一二・一三

同 四二-二四〇 三〇万 同 四二・一二・一四

同 四二-二五一 五〇万 同 四二・一二・一九

イ 現金(2)

亡修郎の帳簿及びメモで現金の各年分の一月一日及び一二月三一日の現在高を実額で確認することができず、各年分とも特別の増減があつたとする資料はなかつたので、各年分とも増減はなかつたものとして計算した。

ウ 貸付金一般分(3)

被告は、亡修郎に対する課税処分の調査に当たつて、同人が昭和四二年九月以前の帳簿書類を保存していなかつたため、被告が以前同人の所得調査をした際収集していた資料により、昭和四〇年一月一日現在及び同年ないし同四二年の各年末現在における一般貸付金残高を次のaないしdのとおり推計し、また同四三年及び同四四年の各年末現在の一般貸付金残高を次のe及びfのとおり同人の帳簿に基づき実額で算定した。

a 昭和四〇年一月一日現在の一般貸付金残高

亡修郎の昭和三九年一月一日から同年一二月三一までの一般貸付金合計七三四万七〇〇〇円に、次により算出される同人の昭和四三年分の回収率七七・二八パーセント及び同四四年分の回収率七七・九九パーセントの平均回収率七七・六三パーセントを乗じて得た金額五七〇万三四七六円を、右七三四万七〇〇〇円から控除した一六四万三五二四円が昭和四〇年一月一日現在の一般貸付金残高と推計される。

昭和四三年分、同四四年分の回収率は、以下のとおり算出される。

年分 一般貸付金額(円) 年末一般貸付金残高(円) 回収金額(円) 回収率(パーセント)

四三 一一五九万八〇〇〇 (一二月一二日までのもの) 八九六万三五〇〇 七七・二八

二三一万三七〇〇

(一二月一三日後のもの)

三二万〇八〇〇

四四 一三九四万五九五〇 三〇六万八五〇〇 一〇八七万七四五〇 七七・九九

(平均) 七七六三

b 昭和和四〇年一二月三一日現在の一般貸付金残高

亡修郎の昭和四〇年一月一日から同年一二月三一日までの一般貸付金合計八四六万四四六〇円に、前記平均回収率七七・六三パーセントを乗じて得た金額六五七万〇九六〇円を、右金八四六万四四六〇円から控除した一八九万三五〇〇円が昭和四〇年一二月三一日現在の一般貸付金残高と推計される。

c 昭和四一年一二月三一日現在の一般貸付金残高

亡修郎の昭和四一年一月一日から同年一二月三一日までの一般貸付金合計九二〇万三〇〇〇円に前記平均回収率七七・六三パーセントを乗じて得た金額七一四万四二八八円を、右金九二〇万三〇〇〇円から控除した二〇五万八七一二円が昭和四一年一二月三一日現在の一般貸付金残高と推計される。

d 昭和四二年一二月三一日現在の一般貸付金残高

亡修郎の昭和四二年一月一日から同年一二月三一日までの帳簿を保存していなかつたため、被告は、同期間の一般貸付金合計額を実額で算定することができなかつた。そこで、被告は、次のとおり右一般貸付金合計額を推計し、これに回収率を乗じて昭和四二年一二月三一日現在の一般貸付金残高を算定した。

(ア) 昭和和四二年一月一日ら同年一二月三一日までの貸付金合計額について

昭和四一年一月一日から同年一一月三〇日までの一般貸付金八三〇万三〇〇〇円に、昭和四二年一〇月分の一般貸付金八五万四二五〇円及び同年一一月分の一般貸付金九九万一八〇〇円の合計額一八四万六〇五〇円と昭和和四一年一〇月分の一般貸付金八五万一三〇〇円及び同年一一月分の一般貸付金八六万一四〇〇円の合計額一七一万二七〇〇円との割合一〇七・七パーセントを乗じて得た金額八九四万二三三一円を昭和四二年一月一日ら同年一一月三〇日までの一般貸付金額とし、これに昭和四二年一二月一日から同月三一までの亡修郎が記帳していた一般貸付金額五六万一四〇〇円を加算した金額九五〇万三七三一円を昭和四二年一月一日から同年一二月三一日現在の一般貸付金額とした。

(イ) 昭和四二年一二月三一日現在の一般貸付金残高

右九五〇万三七三一円に前記平均回収率七七・六三パーセントを乗じて得た金額七三七万七七四六円を、右九五〇万三七三一円から控除した二一二万五九八五円が昭和四二年一二月三一日現在の一般貸付金残高と推計される。

e 昭和四三年一二月三一日現在の一般貸付金残高

亡修郎が昭和四三年一二月三一日以前に貸し付けた金額のうち、昭和四四年一月一以後に回収した金額四〇六万一五三〇円が昭和四三年一二月三一日現在の一般貸付金残高である。

f 昭和四四年一二月三一日現在の一般貸付金残高

亡修郎が法定帳簿に計上している昭和四四年一二月三一日現在の未回収一般貸付金残高三〇六万八五〇〇円及び同人の金銭出納帳に計上されているもののうち右法定帳簿に計上されていない右同日現在の未回収一般貸付金残高三六七万四一〇〇円の合計額六七四万二六〇〇円が昭和四四年一二月三一日現在の一般貸付金残高となる。

エ 貸付金みどり農園分(5)

亡修郎は、昭和四〇年三月一八日訴外株式会社みどり農園(以下「訴外みどり農園」という。)に五〇〇万円を貸し付けたが、昭和五三年に至るまで返済を受けていない。

オ 貸付金関川分(6)

亡修郎の物品税法違反事件により同人の店舗において押収したメモ及びこれに基づく同人の説明によれば、同人は、訴外関川守彦(以下「訴外関川」という。)に対し、昭和四二年一二月三一日現在合計二八八万円、同四三年及び同四四年の各一二月三一日現在合計六八八万の貸付金債権を有していた。

カ 貸付金佐村床材分(7)

亡修郎は、昭和四二年に訴外株式会社佐村床材店(以下「訴外佐村床材店」という。)に対し合計五〇〇万円を貸し渡し、同四四年中に返済を受けた。

キ 貸付金友貞分(9)

亡修郎の物品税法違反事件により同人の店舗において押収した金銭出納簿(裏帳簿)によれば、同人は、昭和四四年一二月三一日現在訴外友貞に対し合計五五万円の貸付金債権を有していた。

ク 売掛金(13)

亡修郎の物品税法違反事件により同人の店舗において押収したメモ、金銭出納簿によれば、同人は、昭和四三年一二月三一日現在訴外福井に対し六〇万五〇〇〇円、訴外藤田に対し二〇万円、昭和四四年一二月三一日現在訴外岩本に対し二六万四四三〇円の各売掛金債権を有していた。

キ 棚卸商品(16)

亡修郎は、前記のとおり昭和四四年九月ころから古美術品の販売を開始したが、被告の所得税調査担当者に対し、同年一二月三一日現在の古美術品の在庫についてはわからない旨答述したので、同調査担当者は、同人の物品税法違反事件により同人はの店舗において押収した裏帳簿に基づき、同人の説明を求めたが、これにより同年中の仕入金額を計算し、そのうち同年中に売却したものを控除すると、同日現在の古美術品の棚卸商品の有り高は、二四八万四八〇〇円となる。

コ 西条土地(20)

亡修郎は、昭和三九年八月三一日訴外藤田正明から左記のの土地(以下「西条土地」という。)を買い受け、同四五年一二月三一日訴外東敏丸及び同末中津に売り渡すまで所有していた。

(ア) 広島県賀茂郡西条大字田口字西ががら四九一番一

山林 四二二一平方メートル

(イ) 同所四九二番一

山林 二四九九平方メートル

(ウ) 同所四九四番

山林 一万〇二二四平方メートル

b 西条土地の取得価額は、以下の理由により七五万円である。

(ア) 亡修郎が西条土地を取得る際、取引に関与した訴外上田学及び同坪原良明は、被告の所得税調査担当者に対し西条土地の売買価額は、七〇万円か七五万円であつたと答述している。

(イ) 昭和三九年当時の近接地の売買価額は、最高でも反当り三万五〇〇〇円であり、西条の合計面積一万六九四四平方メートルに換算すると、五九万七九七五円なる。

サ 渋川土地建物(23の2)

a 亡修郎は、昭和三九年一二月三一日訴外渋川信之所有の広島市中区平野町一一番一五所在の土地及び同地上の建物(以下「渋川土地建物」という。)を競落し、昭和四〇年一月二一ころ競落代金を支払つてその所有権を取得し、昭和四六年一二月二七日訴外脇田ハツミに売り渡すまでこれを所有していた。

b 亡修郎は、渋川土地建物について競落代金五〇〇万円を支払つたほか、次の金額を取得費の附帯費用として支払つている。

支払年月日(昭和年月日) 費目 支払先 金額(円)

三九・九・一五 代書料 下村司法書士 一万五〇〇〇

〃・〃・二二 同 同 四万二二一二

〃・一二・一一 同 同 三万九三六八

(昭和三九年分合計 九万六五八〇円)

四〇・五・六 弁護料 宗政美三 五万

〃・六・三〇 不動産取得税 広島市 四万六二四〇

一万二六二〇

(昭和三九年から同四〇年末までの合計額 二〇万五四四〇円)

四一・一・一 弁護料 宗政美三 一〇万

四一・一・一三 同 同 一四万

(昭和三九年から同四一年末までの合計額 四四万五四四〇円)

四三・九・一三 弁護料 小中貞夫 三〇万

(昭和三九年から同四三年末までの合計額 七四万五四四〇円)

c 以上により、渋川土地建物の昭和四〇年一月一日及び同年から同四四年までの各一二月三一日現在における価額は、次のとおりとなる。

昭和四〇年一月一日現在 前払い費用 九万六五八〇円

同年一二月三一日現在 土地建物(附帯費用を含む。) 五二〇万五四四〇円

同四一年一二月三一現在 同(同) 五四四万五四四〇円

同四二年一二月三一現在 同(同) 同

同四二年一二月三一現在 同(同) 五七四万五四四〇円

同四二年一二月三一現在 同(同) 同

シ 西村土地(23の3)

a 亡修郎は、前記エの貸付金みどり農園分の担保として、訴外西村幸一(以下「訴外西村」という。)及び同株式会社広島書店(以下「訴外広島書店」という。以下、右両名を併せて「訴外西村ら」という。)から左記土地(以下「西村土地」という。)の提供を受けた。

(ア) 広島県賀茂郡八本松町大字米満字片山二〇六番一

山林 三八三四平方メートル

(イ) 同所二〇六番一二

山林 六二三六平方メートル

(ウ) 同所二〇六番一七

山林 三一二平方メートル

(エ) 同所二〇六番一九

山林 一二五九平方メートル

(オ) 同所二〇六番二〇

山林 六八〇平方メートル

ところが、亡修郎は、昭和四〇年中に西村土地の権利済証等所有権移転登記手続に必要な書類一式を手中にしたことを奇貨として、右書類を利用して右土地につき、訴外西村らから訴外渡部徳一名義に、同人名義から訴外阿慈谷孝名義に、同人名義から亡修郎名義へと順次所有権移転登記を経由することにより、登記名義を取得した上、右土地を自己の所有資産として、これに元本債権極度額三六〇〇万円の根抵当権を設定し、広島信用金庫銀山支店から融資を受け、利用収益している。

右のように、亡修郎が西村土地を現実に自己の所有資産として、経済的に自己に帰属させ利用収益している場合には、私法上の効果とは別に、事実上発生存続している経済的効果に対し税法上課税するのは、実質主義の建前から許容されるところであるから、西村土地は、昭和四〇年末以降同人の資産に計上すべきである。

b 西村土地の価額は、次のとおり算定される。

右土地は、訴外西村らから訴外株式会社中国オートセンターへ譲渡され、その後、同株式会社と訴外みどり農園との間で、同土地と訴外みどり農園所有の左記土地(以下「大獄山の土地」という。)との交換がなされた。

(ア) 広島県賀茂郡八本松町大字原字大嶽山七六〇番一〇五

山林 一万〇〇六九平方メートル

(イ) 同所七六〇番一〇一

山林 九九二三平方メートル

(イ) 同所七六〇番一〇六

山林 九九一七平方メートル

しかして、大嶽山の土地には、昭和四〇年五月総額一八〇〇万円の根抵当権が設定されていたから、その価額は、昭和四〇年当時一八〇〇万円以上であつたといえる。そうすると、西村土地は、大嶽山の土地と交換されたのであるから、西村土地の価額は、昭和四〇年当時少なくとも一八〇〇万円であつたといえる。

仮に、そうでないとしても、西村土地付近の土地(同町大字米満字片山二〇六番八五ないし同番八九)の売買実例によると、一反当たり一四二万円、又は一〇七万円であり、仮に一反当たり一〇七万円としても、西村土地(合計面積一二・三反歩)の価額は、一三一六万円となる。

更に、西村土地に極めて近接している同町大字米満字片山二〇三番二、二〇六番二四の各土地(地積合計八〇〇坪)が昭和三九年二月八日訴外明治不動産株式会社から同後藤春子に対し代金二四〇万円(坪当たり三〇〇〇円)で売買されている。右土地も西村土地もともに右会社が山林をまとめて購入し、いわゆる土地ころがしを目的とした利殖のために販売したものであるから、訴外後藤春子が右土地を取得してから一年以上経過した昭和四〇年四月一七日(亡修郎が西村土地を取得した日)には、当然付近の取引価額も上昇しているから、西村土地の周辺土地の右同日現在の時価は、坪当たり三〇〇〇円を上回ることはあつても、これを下回ることはない。そして、西村土地の地積は、合計三七三三坪(一万二三二一平方メートル)であるから、右土地の価額を売買実例比準方式により評価すると、最低でも一一一九万九〇〇〇円となる。

しかして、右の計算は、時点修正を行わなつた場合であるが、これを時点修正すると、次のようになる。すなわち、右修正の指数を仮に同時期の六大都市を除く市街地価額指数(前年同期に対する地価の上昇指数)の「宅地」に求めること、一四・七パーセントの上昇率であるから、これを基に昭和四〇年四月当時の価額を計算すると、坪当たり三四四一円(三〇〇〇円×一・一四七)となる。

したがつて、時点修正後の時価相当額を評価すると、最低でも一二八四万五二五三円となるのであり、右土地を含む周辺土地が投機目的で売買されていたことから判断すれば、右金額以上であつたというべきである。

c 以上述べたとおり、西村土地の価額は、一八〇〇万円というべきであり、また時点修正をしない場合の近接地の売買実例比準方式により評価した場合でも、一一一九万九〇〇〇円を下回ることなく、仮にその評価額をもつて亡修郎の昭和四〇年分の事業所得金額を計算した場合においても、その額は、一四三三万三一八五円となるから、原処分の認定に係る事業所得金額を上回る。

ス 生活費(31)

裏帳簿に基づいて亡修郎の昭和四四年分の生活費関係の支出を抽出すると、同年分の生活費は、別表4の昭和四四年分生活費記載のとおりの金額となる。

昭和四〇年から同四三年までの生活費については記帳がないが、次のとおり推計される。すなわち、総理府統計局作成の家計調査年報により、広島市における昭和四四年分の生活費支出額を一〇〇とした場合の同四〇年から同四三年での各年の割合を算出し、亡修郎同人の昭和四四年分の生活費のうち、同年に特有の臨時的支出を除いた生活費の額二六三万七五五九円に右割合を乗じて次のとおり算定される。

年分 広島市一世帯当たり年平均一箇月間消費支出額(円) 上記の四四年分を一〇〇とした場合の割合(パーセント) 生活費(円)

四〇年分 四万四一二七 六一・六 一六一万一五四八

四一年分 五万三五二一 七四・一 一九五万四四三一

四二年分 六万〇二〇四 八三・三 二一九万七七四六

四三年分 六万四一〇〇 八八・七 二三三万九五一四

四四年分 七万二二六七 一〇〇・〇 二六三万七五五九

セ 改造費(32)

裏帳簿によると、亡修郎は、昭和四四年中に居住家屋の改造費一三万五〇〇〇円を支出している。

ソ 支払利息(34)

亡修郎は、別表6の不動産取得の明細記載の土地建物(以下「中島土地建物」という。)を同明細記載のとおり取得し、その取得費を別表7の不動産取得のための借入明細記載のとおり広島信用金庫銀山支店から借り入れているが、右借入金の支払利息として、昭和四二年分二三万二四〇〇円、同四三年分二八九万三九〇〇円及び同四四年分三三四万七八二五円を支払つた。しかして、中島土地建物は、訴外山田芳典に賃貸した昭和四五年までは、亡修郎の事業の用に供していなかつたものであるから、右支払利息は、同人の事業所得金額の計算上、必要経費とならず、資産負債増減法により事業所得金額を計算する場合、加算の対象となるものである。

タ 預金利子(36)

前記ア記載の亡修郎の預金に対する昭和和四〇年分から同四四年分までの利子は別表5の預金利子明細書一ないし五記載のとおりである。

(二) 事業所得以外の所得

(1) 昭和四五年分不動産所得

ア 亡修郎は、昭和四五年分の所得税の確定申告書の提出に当たり、不動産所得につき、収入金額三〇万円、必要経費七万二〇〇〇円、支払利息三〇四万七九二七円とし、所得金額を二八一万九九二七円の欠損として被告に申告した。

イ 亡修郎は、前記のとおり別表6の不動産取得の明細記載の各不動産を取得するために、広島信用金庫銀山支店から別表7の不動産取得のための借入明細記載のとおり借入れをし、同人の昭和四五年中の支払利息は、別表8の支払利息の計算記載のとおり合計三一〇万二九七四円である。

ところで、借入金の利息が不動産所得の必要経費とされるのは、その不動産が業務の用に供される場合に限られるものであるところ、亡修郎は、昭和四五年に前記不動産取得の明細記載の番号<1>の不動産を訴外山田芳典に賃貸したものであり、右番号<2>及び<3>の各不動産は、取得して以来全く業務の用に供されていないから、右各不動産の取得のための借入金の利息は、必要経費とはならず、右番号<1>の不動産取得のための借入金の支払利息のみが必要経費となる。

そこで、右支払利息三一〇万二九七四円に、次表記載の右番号<1>の不動産の取得金額の構成比率三八パーセントを乗じて右不動産取得のための借入金にかかる昭和四五年中の支払利息を計算すると、一一七万九一三〇円となる。

番号 取得金額(円) 割合(パーセント) 支払利息(円)

<1> 一五三七万六〇〇〇 三八 一一七万九一三〇

<2> 一二八二万七〇〇〇 三二 九九万二九五二

<3> 一二〇〇万 三〇 九三万〇八九二

合計 四〇二〇万三〇〇〇 一〇〇 三一〇万二九七四

そうすると、亡修郎の昭和四五年分の不動産所得金額は、次表のとおり九五万一一三〇円の欠損となる。

収入金額(円) 必要経費(円) 支払利息(円) (差引)所得金額(円)

三〇万 七万二〇〇〇 一一七万九一三〇 △九五万一一三〇

(2) 昭和四五年分分離長期譲渡所得

ア 亡修郎は、前記(一)(2)コ記載のとおり、昭和三九年八月三一日訴外藤田正明から取得した西条土地を同四五年一二月三一日訴外東敏丸及び同末中津に売り渡した。

イ 亡修郎は、西条土地の譲渡につき、昭和四五年分の所得税の申告書に「分離課税の譲渡」として特例適用条文を「租税特別措置法三一条」とし、「収入金額二〇〇〇万円」、「必要経費五四〇万円」、「差引金額一四六〇万円」、「特別控除額一〇〇万円」、「所得金額一三六〇万円」と記載して分離長期譲渡所得の申告をした。

ウ しかしながら、西条土地の取得価額は、前記のとおり七五万円を超えることはないから、これを前提として亡修郎の分離長期譲渡所得金額を計算すると、次のとおり一七八五万円となる。

収入金額(円) 取得金額(円) 必要経費(円) 差引金額(円) 特別控除額(円) 所得金額(円)

二〇〇〇万 七五万 四〇万 一八八五万 一〇〇万 一七八五万

したがつて、被告の処分(一七六〇万円)は、右の範囲内でなされたものであるから、適法である。

(3) 昭和四六年分分離長期譲渡所得

ア 亡修郎は、前記(一)(2)サの記載のとおり、昭和四〇年一月二一日競落により取得した渋川土地建物を同四六年一二月二七日に訴外脇田ハツミに売り渡した。

イ 亡修郎は、昭和四六年分の所得税の確定申告書において、「分離課税の譲渡」として適用条文を「租税特別措置法三五条」とし、「収入金額一六六〇万円」、必要経費六六四万九六九〇円」、「差引金額九九五万〇三一〇円」、「所得金額〇円」と記載して、被告に分離長期譲渡所得の申告をした。

右申告は、亡修郎が前記譲渡資産に居住していたとして、租税特別措置法(昭和四八年法律第一六号による改正前のもの)三五条一項一号により前記特別控除(一〇〇〇万円控除の範囲内の九九五万〇三一〇円)があるとしてなされたものである。

ウ しかしながら、同法三五条一項に規定する家屋とは、個人が居住の用に供している家屋とされているところ、亡修郎は、前記譲渡資産の所在地へ昭和四六年一一月五日転居したとして、同月一八日付けで住民登録をしているが、昭和四四年九月から渋川土地建物を譲渡した時期までは、広島市銀山九番一三号に居住しており、前記譲渡資産に居住した事実はない。

そうすると、渋川土地建物の譲渡については、同法三五条一項のの規定の適用はなく、その特別控除額は、同法三一条二項の規定の適用により一〇〇万円であるから、これを前提として分離長期譲渡所得金額を計算すると、次のとおり八九五万〇三一〇円となる。

収入金額(円) 必要経費(円) 差引金額(円) 特別控除額(円) 所得金額(円)

一六六〇万 六六四万九六九〇 九九五万〇三一〇 一〇〇万 八九五万〇三一〇

2  本件各賦課決定処分の適法性について

(一) 過少申告加算税

別表は1の課税処分表一ないし六記載のとおり、亡修郎には、昭和四〇年分ないし同四五年分の所得税につき過少申告の事実があるから、被告は、国税通則法六五条一項の規定に基づいて右各賦課処分表記載のとおり過少申告加算税の賦課決定処分をしたものであり、右処分には、何ら違法は存しない。

(二) 重加算税

亡修郎は、昭和四〇年から同四四年までの間、裏帳簿等により貸付金額及び売上金額等の取引金額の一部を除外し、また別表3の預金残高明細表一ないし六記載のとおり架空又は仮装名義預金口座に預け入れ、その売上除外したところに基づいて納税申告書を提出したものであるから、右は、国税通則法六八条一項に規定する課税標準等の計算の基礎となる事実の全部又は一部を仮装し、又は隠ぺいし、その仮装し、又は隠ぺいしたところに基づき納税申告書を提出していたものというべきである。そこで、被告は、同条同項により別表1の課税処分表一ないし五記載のとおり重加算税の賦課決定処分をしたものであり、右賦課決定処分には、何ら違法は存しない。

3  処分の期間制限について

亡修郎は、昭和四〇年分ないし同四二年分の所得税の申告に当たり、その取引金額の一部を除外し、偽名の預金をし、ことさら過少の申告をしており、偽りがあることが明らかであるから、右各所得税に係る構成又は賦課決定処分は、国税通則法(昭和五六年法律第五四号による改正前のもの)七〇条二項四号の規定により法定申告期限ないし課税標準申告書の提出期限から五年を経過する日まで、することができるから、本件各構成及び賦課決定処分には、同法所定の制限期間経過後になされた違法は存しない。

4  調査手続について

所得税法二三四条二項の規定は、同条一項の国税庁、国税局又は税務署の職員の調査権限を犯罪捜査のために認められたものと解してはならないとの規定であつて、国税犯則取締法に基づく調査によつて得られた資料を徴税に利用することまで禁ずる規定はなく、同法に基づき収集した資料を課税資料として利用することは何ら違法ではない。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1(一)(1)のうちアは認め、イないしエは否認し、オは、被告がその主張の方法により亡修郎の所得金額を算定したことは認めるが、右推計方法の必要性及び合理性は争う。

2  同(2)の冒頭のうち別表2の資産負債調の科目番号欄記載の4、8、10、11、14、17、19、21ないし23、26、29、37、41の各科目は認め、その余の科目(15、18、27、28、33及び38を除く。)は否認する。

3  同(2)のアないしケ及びシないしタはすべて否認する。コのうち、aは認め、bは争う。サのうち、aは認め、b及びcは否認する。

4  同(二)(1)は、アの事実及びイのうち、譲渡資産の譲渡に係る収入金額及び必要経費は認めるが、その余は否認する。同(2)は、ア、イの各事実及びウのうち、西条土地の譲渡に係る収入金額及び必要経費は認めるが、その余は否認する。同(3)は、ア、イの各事実及びウのうち渋川土地建物の譲渡に係る収入金額、必要経費及び差引金額は認めるが、その余は争う。

5  同2ないし4は争う。

五  原告らの反論

1  資産負債増減法による推認の合理性ついて

(一) 資産負債増減法は、収入金から損金を差し引いた額が所得額であり、資産から負債と資本金との合計額を差し引いた額が所得額であるという算式のみによる推計方法であり、資産と損金との合計額が収入金と負債と資本金との合計額に等しいとの検証を経ていないものであるから、正確を期し難く、適法な推計方法ということはできない。

(二) 仮に、適法な推計方法だとしても、できる限り収支との結び付きを調査し、資産負債の増減について正確に調査して計算すべきところ、被告は、所得の収支面について全く調査しておらず、また、資産、負債の金額及びその発生時期についての調査は、極めて杜撰であり、かかる調査に基づく本件更正処分は到底適法なものとはいえない。

2  各科目について

亡修郎の昭和四〇年分ないし同四四年分の事業所得に係る資産、負債等の各科目の金額は、別表9の原告ら主張の資産負債調記載のとおりであるが、被告認定額と異なる科目についての原告らの主張は、次のとおりである。

(一) 預金(1)

(1) 金子郁子名義預金

原告金子郁子は、亡修郎の妻であるが、広島市松原町九番三号に不動産を所有し、当該不動産からの所得がある。したがつて、同原告名義の預金は、資産から除かれるべきであり、仮に資産に算入するとしても、同原告の不動産所得額及び右不動産の減価償却額は、控除すべきである。

(2)金子政(正)子名義預金

訴外金子政(正)子は、亡修郎の実母であり、広島市牛田町及び同鉄砲町に不動産を所有しているから、これによる不動産所得についても、右(1)と同様の取扱いをすべきである。

(3) 金子タカ名義預金

訴外金子タカは、原告郁子の実母であるが、同原告以外の子から生活費の仕送りを受け、これを預金として預け入れていたから、その預金を亡修郎の資産に算入することはできない。

(二) 現金(2)

質屋業、金融業においては、現金は、一般小売商店の商品と同様の役割を果たし、資産の増減を計算するに当たり無視できないものである。しかるに、被告は、調査を怠り、現金の残高確認をしていない。

(三) 貸付金一般分(3)

被告は、亡修郎が昭和三九年度に七三四万七〇〇〇円の貸付けを行つたとし、それに基づいて昭和四〇年ないし同四二年の貸付金一般分の残高を推計しているが、昭和三九年度の一般貸付金の算出自体が推計に基づくものであり、被告主張の右各年の貸付金一般分の残高は、推計による数字を基礎とした推計の結果にすぎない。亡修郎の営業形態は、現金取引を主とする質屋業であるから、現金の残高の確認をしないで、貸付金等の科目についてのみ右のような不完全な推計に基づいて数額を計上することは、全く無意味に近い、不正確な結果を招くものである。

(四) 貸付金みどり農園分(5)

亡修郎は、訴外みどり農園に対する貸付金の担保として西村土地につき抵当権の設定を受けたが、右土地の所有権は、昭和四〇年月一〇日訴外渡部徳一に、同年一〇月一日同阿慈谷孝にそれぞれ移転したところ、亡修郎が右両名からいずれも二〇〇万円の抵当権の設定を受けていることに照らし、訴外みどり農園に対する貸付額は、二〇〇万円以下であつたものである。

(五) 貸付金関川分(6)

訴外関川に対する貸付けは、美術品及び宝石を担保とした貸付けであり、亡修郎は、これらの担保物件を処分して金員を得ているから、少なくとも貸付けの翌年の昭和四四年には、右貸付金は回収されている。

(六) 貸付金佐村床材分(7)

訴外佐村床材店に対する貸付けは、同店が訴外佐藤哲郎の保証人となつたことによるものであり、貸付けた時期は昭和三九年である。また、亡修郎は、昭和四二年八月同店所有の宅地につき極度額五〇〇万円の根抵当権の設定を受けており、貸付額は、極度額の五〇〇万円ではあり得ない。

(七) 貸付金友貞分(9)

訴外友貞は、昭和四〇年亡修郎から三五〇万円を借り入れ、同年七月二九日右金員を訴外小島久雄に貸し付け、その担保として広島市瀬野川町大字上瀬野字後山三七九番一九山林他四筆の土地につき抵当権の設定を受けたが、右抵当権設定契約が昭和四三年に解除されている事実に照らすと、昭和四四年度に貸付金友貞分の発生はなく、前年度において既に消滅しているものである。

(八) 売掛金(13)

売掛金は、宝石等の販売により生じたものであり、売上に対して課税されるべき物品税額分は、資産の計算上減額すべきであり、また、被告が現金の残高を確認していない以上、売掛金の科目について増減を計上しても正しい結論は得られない。

(九) 棚卸商品(16)

棚卸商品について、売上の原因となつた物品の減少分を資産計算に計上しないのは不合理であり、棚卸商品の科目について増減を計上しても、被告が現金の残高を確認していない以上、正しい結論は得られない。

(一〇) 西条土地(20)

西条土地の取得価額は、五〇〇万円である。被告主張の近接地の売買実例は、農地としての売買であるところ、西条土地は、別荘地としての売買である上、水の少ない西条盆地において、右土地は、池と隣接しており、他に個人の好みも考慮すると、五〇〇万円という価額は不合理なものではない。被告は、一方で、西村土地を一八〇〇万円(反当たり約一四六万円)と評価しながら、他方で、西条土地を七五万円(反当たり四万円)と評価しているが、右は、極めて不合理というべきである。

(一一) 渋川土地建物(23の2)

貸付金渋川分と同額として計上すべきである。

(一二) 西村土地(23の3)

亡修郎は、昭和四〇年訴外みどり農園に対する貸付金を被担保債権として、西村土地について担保権の設定を受けたにすぎないから、同年から同人の資産として計上することはできない。仮に同人が右土地を取得したものであるとしても、同人は、右土地を訴外みどり農園に対する貸付金に対する代物弁済として取得したものであるから、同農園に対する貸付金を資産として残したまま右土地を資産に計上するのは、二重評価となる。

(一三) 支払利息(34)

中島土地建物について不動産所得を認める以上、右不動産取得のための借入金に対する利息は、加算すべきでない。

3  事業所得以外の所得について

(一) 昭和四五年分不動産所得

亡修郎は、別表6の不動産所得の明細記載の番号<1>ないし<3>の土地建物全部を訴外山田芳典に一箇月二万五〇〇〇円で賃貸していたから、右土地建物の取得ための全借入金の利息を必要経費とすべきである。

(二) 昭和四五年分分離長期譲渡所得

前記2(一〇)で述べたとおり、西条土地の取得価額は五〇〇万円である。

(三) 昭和四六年分分離長期譲渡所得

亡修郎、前記「大和屋」及び「三越百貨」で質屋業等を営んでいたが、夜間右店舗に寝泊りすることに危険を感じ、昭和四六年秋から同四七年初めにかけて渋川土地建物に居住した。

六  原告らの反論に対する認否

すべて争う。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び承認等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1ないし5、7の各事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、本件各更正処分の違法性の有無について以下判断する。

1  事業所得

(一)  推計課税の必要性について

被告の主張1(一)アの事実(亡修郎の営業)は、当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第一号証の一九四、第五二、第五七号証、原本の存在及び成立に争いのない乙第五四ないし第五六号証、証人佐伯廉の証言により真正に成立したものと認められる乙第二五、第三五ないし第三八号証、証人田村精三、同佐伯廉、同金子郁子の各証言を総合すると、次の事業が認められ、これを覆えすに足りる証拠はない。

(1) 亡修郎は、昭和四〇年分ないし同四四年分の所得税の申告を法定帳簿に基づいて行つていたが、被告の物品税調査担当者が昭和四五年九月ころ同人の物品税法違反事件により同人の店舗で昭和四四年度と表記された裏帳簿(乙第五四ないし第五六号証)及びメモ(乙第二五、第三五ないし第三八号証)を押収し、これらと同年度の法定帳簿とを比較対照した上、同人及び同人の妻である原告郁子に説明を求めたところ、法定帳簿には、亡修郎の取引の一部が記載されているのみで、多数の取引について記載が除外されたり、減額偽記がなされていることが判明した。そして、裏帳簿に記載されている入出金のうち、原因不明のものにつき亡修郎に対し説明を求めたが、同人は、これに応じず、また、裏帳簿には、事業に係る棚卸商品の有り高及び貸付金の残高について記載がないなど裏帳簿自体も内容的に不完全なものであつた。亡修郎及び原告郁子は、前記違反事件の調査の際、調査担当者の質問に対し、昭和四三年以前の法定帳簿についても、昭和四四年と同様、実際あの取引を除外して記載したり、減額偽記した旨供述したので、昭和四三年以前の裏帳簿等の提示を求めたが、同人らは、右のような帳簿はない旨回答するのみで、被告の調査に協力しなかつた。

(2) 更に、被告が亡修郎の取引銀行を調査したところ、後記(三)(1)認定のとおり、昭和四〇年から同四四年までの間、多額の架空名義又は仮装名義の預金がなされていることが判明したが、右預金は、法定帳簿や裏帳簿に記載のないものであり、また亡修郎の申告額によつては到底預け入れることのできない金額であつた。

右認定の事実によれば、昭和四〇年分ないし同四四年分の亡修郎の事業所得金額の算定に当たり、収支計算に必要な帳簿、書類の備付けが不十分で、しかもその記載内容が不正確である上、同人が被告の調査に非協力な態度をとるなどしたため、同人の所得金額を実額によつて把握することができなかつたものと認められるから、推計課税の必要性があつたものというべきである。

(二)  資産負債増減について

次に、資産負債増減法による推計の適法性について考えるに、係争年度の期首と期末の資産と負債の増減を比較することにより、純資産の増減を計算し、所得金額を推計するいわゆる資産負債増減法は、所得税法一五六条により推計課税の一方法として許容されているところであり、亡修郎の営む業種が多岐にわたり、その取引形態が現金を主体としていることなど前認定の事実関係のもとにおいては、亡修郎の事業所得を推計するに当たり、資産負債増減法によつたのは、合理的であつて、これをもつて不合理な推計方法であるということはできない。

原告らは、資産負債増減法は、できるかぎり収支の結び付きを調査した上で採用すべきであると主張するが、同法によつて所得金額を推計する場合、かならず収支の結び付きを明らかにしなければならないとする根拠はなく、右主張は採用しない。

(三)  各科目の算定根拠について

被告主張の資産負債増減法による昭和四〇年分ないし同四四年分の亡修郎の事業所得金額の算定根拠は、別表2の資産負債調記載のとおりであるが、同表の科目番号欄記載の4、8、10、11、14、17、19、21ないし23、26、29、37及び41の各科目については、当事者間に争いがないので、以下争いのあるその余の各科目につき順次判断する。

(1) 預金

別表3の預金残高明細表一ないし六記載の各預金の存在は、同表書証番号記載の乙号各証(右乙号各証のうち、乙第一号証の二一三の二の一、二、同号証の二一四の一、同号証の二二三、二二六、二二七の一、二、同号証の二二八、二三一、二三二は、証人田村精三の証言により、同号証の二二四の二は、証人広光喜久蔵の証言によりそれぞれ真正に成立したものと認められ、その余の乙号各証の原本の存在と成立は争いがない。)により認めることができる。

そこで、亡修郎名義預金以外の名義預金が同人に帰属するか否かについて判断する。

ア 渡辺育子、高浪栄一各名義預金について

前掲乙第一号証の一九四によれば、昭和四四年一二月三一日現在における広島相互銀行本店の渡辺育子名義通知預金三〇万円(預金番号四〇五二九)及び広島銀行銀山支店の高浪栄一名義通知預金五〇万円(預金番号四八-一一)については、亡修郎が物品税法違反事件により調査を受けた際、調査担当者に対し自己の架空預金である旨供述していたことが認められるので、右各預金は、同人に帰属するものということができる。

イ その余の他人名義預金について

次の乙号各証及び証人田村精三の証言を総合すると、被告の主張1(一)(2)アのbないしkの各事実が次のとおり認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(事実) (乙号証)

b(ア) 前掲乙第一号証の一八一

b(イ) 同号証の一九五の一ないし四(右証言により真正に成立したものと認められる。)

c(ア) 同号証の一九六ないし二〇二(成立に争いのがない。)

c(イ) 同号証の二〇三、同号証の二〇四及び二〇五の各一、二(右証言により真正に成立したものと認められる。)

d 同号証の二三三(同)

e 同号証の二〇六、同号証の二〇七の一ないし三、同号証の二〇八ないし二一〇の各一、二(同)

f 同号証の二一一及び二一二の各一、二、二一三の一(同)、前掲乙第一号証の二一三の二の一、二

g 前掲乙第一号証の二一四の一、同号証の二一四の二、同号証の二一五の一ないし四、同号証の二一六(右証言により真正に成立したものと認められる。)

h 同号証の二一八ないし二二〇の各一ないし三(同)

i 前掲乙第一号証の九九、一〇〇、一〇四、一四四、一四九

j 同号証の二二一及び二二二の各一、二(右証言により真正に成立したもと認められる。)

k 前掲乙第一号証の九〇、九二、九三、二二六、二二七の一、二。同号証の二二五(弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる。)

右認定のbないしkの各事実に証人田村精三の証言を総合すると、被告主張の原告名義以外の名義預金(渡辺育子、高浪栄一名義預金を除く。)は、いずれも亡修郎に帰属するものと認めるのが相当である。

原告らは、原告郁子及び訴外金子政(正)子には、いずれも不動産所得があり、同人ら名義預金には、その不動産所得が預け入れられており、金子タカ名義預金には、生活費として同人の子から仕送りされた金員が預け入れられていた旨主張するので、以下検討する。

まず、金子郁子名義預金についてみると、原告らは、原告郁子の不動産所得の具体的内容について何ら主張、立証しないが、通常、不動産所得は、賃貸による収入金であり、賃貸収入金は、各年ともおおむね同額と認められるところ、前掲乙第一号証の六、二七、一六〇、一六二、一六五、一六九、一七二、一八〇、一八五、一九一、一九二によると、金子郁子名義の預金残高は、次のとおり各年によつて増減が著しいことが認められる。

昭和四〇年一二月三一日現在 二五万五一〇〇円

同 四一年一二月三一日現在 一万〇四九三円

同 四二年一二月三一日現在 七五万円

同 四三年一二月三一日現在 五万二三三八円

同 四四年一二月三一日現在 四五六万一二六五

右の点に照らすと、右預金の増加は、賃料収入によるものとは認め難く、他に原告らの主張を裏付けるに足りる証拠はない。

次に、金子政(正)子名義預金についてみるに、前掲乙第一号証の八、二九、四九、九七によると、同人名義預金については、預金利子以外の預金額の増加が認められず、賃料収入を預け入れたものとは認められない。

最後に、金子タカ名義預金についてみるに、前掲乙第一号証の九、三〇、五〇、七四、一五一、二三一によると、同人名義預金も、預金利子のみによつて増加していることが認められ、仕送り金が預けられた形跡は窺われないこと、前掲乙第一号証の二〇〇及び証人金子郁子の証言によると、右タカは、原告郁子の実母で、本名は、原タカであつて、金子タカではなく、しかも金子タカ名義預金の届出印鑑は、亡修郎の届出印鑑と同一であることが認められ、これらの事実を総合すると、右預金は、亡修郎が自分の収入金を預け入れていたものと推認される。証人金子郁子の証言中、右認定に反する部分は措信し難い。

以上の検討に照らし、原告らの前記主張はいずれも採用できない。

(2) 現金

証人田村精三の証言によると、亡修郎の各年末現在の現金の実額を確認する資料はなく、また、各年分とも特別の増減があつたとする資料もなかつたことが認められる。

ところで、現金は、特段の事情がない限り、その性質上余分に手許に置くものではなく、期首期末とも大きな差がないのが通常であるから、資産負債増減法により所得金額を推計するに当たり、現金の期首期末における有り高を実額で把握し得る資料がない場合には、変動がないものとして計算することが許されるものと解するのが相当である。

したがつて、被告が本件において各年分とも現金の有り高に増減がないものとして計算したのは、適法なものというべきである。

(3) 貸付金一般分

証人田村精三の証言により真正に成立したものと認められる乙第二六号証の一、二、第二七号証の一ないし三、第二八号証の一、二、第三〇号証の一ないし三、第三一、第三二号証、右証言及び弁論の全趣旨を総合すると、以下のとおり認められる。

ア 昭和四〇年一月一日現在の一般貸付金残高

亡修郎の昭和三九年一月から同年九月までの一般貸付金額は、合計四九三万一二〇〇円であり、これに年末補正率(一・四九、年度途中までの実額による取引額に基づいて年間取引額を推計するため、国税局が作成していた一種の同業者率である。)を乗ずると、七三四万七〇〇〇円となり、これが同人の同年分の一般貸付金合計額と推計される。そして、同人の保管していた法定帳簿及び裏帳簿に基づいて積算した亡修郎の昭和四三年分及び同四四年分の一般貸付金合計額から各年末の一般貸付金残高を差し引いて各年分の回収金額を求め、これを右一般貸付金合計額で除して両年の回収率を求め、両年分の平均回収率を計算すると、被告主張のとおり七七・六三パーセントとなるが、その計算過程は、被告の主張1(一)(2)ウa記載の表のとおりである。

そこで、昭和三九年分の前記一般貸付金合計額七三四万七〇〇〇円に右平均回収率七七・六三パーセントを乗じて得た五七〇万三四七六円を右七三四万七〇〇〇円から差し引くと、一六四万三五二四円となるが、これをもつて昭和四〇年一月一日現在の一般貸付金額と認めるのが相当である。

イ 昭和四〇年一二月三一日現在及び同四一年一二月三一日現在の各一般貸付金残高

亡修郎の昭和四〇年一月から同年一一月までの貸付金額は、七三六万〇四〇〇円であり、これに前示年末補正率一・一五を乗ずると、八四六万四四六〇円となり、同四一年一月から同年一一月までの貸付金額は、八三〇万三〇〇〇円でこれに前示年末補正率一・一一を乗ずると、九二〇万三〇〇〇円となり、同人の昭和四〇年分の一般貸付金合計金額は、右八四六万四四六〇円、同四一年分のそれは、右九二〇万三〇〇〇円とそれぞれ推計され、右各一般貸付金合計金額から、同金額に前示平均回収率七七・六三パーセントを乗じて得た各金額を差し引くと、昭和四〇年分につき一八九万三五〇〇円、同四一年分につき二〇五万八七一二円となり、右一八九万三五〇〇円をもつて同四〇年一二月三一日現在の、右二〇五万八七一二円をもつて同四一年一二月三一日現在の各一般貸付金残高と認めるのが相当である。

ウ 昭和四二年一二月三一日現在の一般貸付金残高

亡修郎の同年分の一般貸付金については、同年一一月分は実額で把握し得るが、同人が同年一月から九月までの帳簿を保存していなかつたため、右期間中の一般貸付金を実額で算定することができなかつた。ところで、同年一〇、一一月分の一般貸付金は、合計一八四万六〇五〇円であり、同四一年一〇、一一月分の一般貸付金は、合計一七一万二七〇〇円であつて、前者の後者に対する割合は、一〇七・七パーセントとなるところ、前記昭和四一年一月分から同年一一月分までの一般貸付金合計八三〇万三〇〇〇円に右割合を乗ずると、八九四万二三三一円となり、右金額をもつて同四二年一月分から同年一一月分までの一般貸付金額と推計し得、これに実額で算定した同年一二月分の一般貸付金五六万一四〇〇円を加算すると、九五〇万三七三一円となるが、右金額から、右金額に前示平均回収率を乗じて得た金額七三七万七七四六円を差し引いた二一二万五九八五円をもつて昭和四二年一二月三一日現在の一般貸付金残高と認めるのが相当である。

エ 昭和四三年一二月三一日現在の一般貸付金残高

亡修郎が昭和四三年一二月三一日以前に貸し付けた金額のうち、同四四年一月一日以降に回収した金額を実額で算定すると、合計四〇六万一五三〇円となるので、これが昭和四三年一二月三一日現在の一般貸付金残高と認められる。

オ 昭和四四年一二月三一日現在の一般貸付金残高

亡修郎が昭和四四年分の法定帳簿に計上していた同年一二月三一日現在の未回収一般貸付金残高は、三〇六万八五〇〇円であり、裏帳簿のうち法定帳簿に計上されていない同日現在の未回収一般貸付金残高は、三六七万四一〇〇円であるから、その合計六七四万二六〇〇円が昭和四四年一二月三一日現在の一般貸付金残高と認められる。

(4) 貸付金みどり農園分

成立に争いのない甲第二、第三、第七、第八号証、乙第八号証の二ないし五、証人広光喜久蔵の証言により真正に成立したものと認められる乙第八号証の一、七及び右証言によると、訴外みどり農園(昭和四〇年九月五日株式会社八本松観光農園と商号変更した。)は、同年三月一八日亡修郎から五〇〇万円を、弁済期同年六月一七日、契約違反の場合は、期限の利益を失うとの約定で借り入れ、訴外西村及び同広島書店は、その際、右借入金債務を担保するため、その所有に係る西村土地につき抵当権を設定し、右消費貸借上の債務不履行を停止条件とする代物弁済契約を締結したこと、ところが、訴外みどり農園は、同年四月一七日に第一回目の利息の支払を怠つたため、前記停止条件が成就し、亡修郎は、右代物弁済契約の趣旨に従つて西村土地を自己の取得とし、或いは他に処分して債権の回収を図り得ることとなつたところ、訴外西村らに対し西村土地の所有権移転登記手続をする旨告げ、訴外西村らから右手続に必要な書類一式の交付を受けた上、同年六月七日訴外渡部徳一に西村土地を売却処分し、中間の登記を省略して訴外西村らから右渡部に対し所有権移転登記を経由したが、当時西村土地の価額は、後記(12)認定のとおり一一一八万一〇〇〇円を下らなかつたことが認められ、前掲甲第七号証、乙第八号証の一、七のうち、右認定に反する部分は、採用せず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、亡修郎は、昭和四〇年六月訴外みどり農園に対する貸付金の担保として停止条件付代物弁済契約を締結していた西村土地を第三者に処分して右貸付金を回収し、その結果、右借入金債務は、消滅したものと認められる。

そうすると、別表2の資産負債調の昭和四〇年分ないし同四四年分の「科目番号5」欄記載の五〇〇万円は、いずれも〇円となる。

(5) 貸付金関川分

前掲乙第二五号証及び証人佐伯廉の証言によると、被告の所得税調査担当者は、亡修郎の物品税法違反事件により押収されていた訴外関川に対する貸付金明細を記載したメモ(乙第二五号証)の内容について、亡修郎に説明を求めたところ、同人は、同メモ記載の数字に基づいて昭和四二年一二月三一日現在の訴外関川に対する貸付金残高が二八八万円であり、同四三年及び同四四年の各一二月三一日現在のそれがいずれも六八八万円である旨供述したことが認められる唐、訴外関川に対する貸付金は、右供述のとおり認められる。

原告らは、訴外関川に対する貸付金は、美術品等を担保としたものであり、右担保物品を処分したことによつて、右貸付金は回収されていると主張し、証人金子郁子は、右と同旨の証言をしているが、亡修郎の前記供述に照らし、信用し難く、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

(6) 貸付金佐村床材分

設立に争いのない乙第三九ないし第四一、第四三号証、第四四号証の一ないし六、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第四二号証を総合すると、亡修郎は、昭和四二年五月訴外佐村床材店に対し総額五〇〇万円を貸し付け、同四四年に返済を受けた事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(7) 貸付金友貞分

前掲乙第五四号証、証人佐伯廉の証言により真正に成立したものと認められる乙第三三号証の一、二及び右証言によると、亡修郎の物品税法違反事件により押収された同人の昭和四四年分の金銭出納簿(乙第五四号証)中の訴外友貞に係る貸付け及び返済の記載を整理すると、亡修郎は、昭和四四年一二月三一日現在同訴外人に対し貸付金五五万円を有していたことが認められ、右認定に反する証人金子郁子の証言は、措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

原告らは、亡修郎は、昭和四〇年訴外友貞に対し三五〇万円貸し付け、右貸付金は、同四三年はに弁済され、消滅した旨主張し、その立証として甲第四、第五号証を提出し、証人金子郁子は、右主張に添う証言をしているが、証人佐伯廉の証言によると、亡修郎は、本件構成処分前に被告の調査を受けた際には、右のような主張はしていなかつたことが認められ、また甲第四、第五号証は、その記載内容に照らし、右主張事実を認めるに足りず、他に主張事実を裏付けるに足る客観的資料は何もないのであつて、右証言はにわかに措信し難く、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(8) 売掛金

前掲乙第五四号証、証人佐伯廉の証言により真正に成立したものと認められる乙第三四号証及び右証言によると、前記金銭出納簿に、亡修郎が昭和四四年三月に同四三年中に発生した訴外藤田に対する売掛金二〇万円の弁済を受けた旨の記載があることが認められるので、昭和四三年一二月三一日現在訴外藤田に対する売掛金二〇万円が存在したものと認められる。

次に、前掲乙第三五ないし第三八号証及び証人佐伯廉の証言によると、亡修郎の物品税法違反事件により押収されたメモ(乙第三五ないし第三八号証)に記載された亡修郎の訴外福井、同岩本に対する売掛金額と入金額を整理すると、昭和四三年一二月三一日現在の訴外福井に対する売掛金残高が六〇万五〇〇〇円であり、同四四年一二月三一日現在の訴外岩本に対する売掛金残高が二六万四四三〇円となることが認められるから、右各同日現在の亡修郎の右訴外外らに対する売掛金残高は、右各金額と認めるのが相当である。

原告らは、右売掛金は、宝石等の売却により生じたものであるから、物品税額相当分は減額されるべきであり、また、被告が現金残高を確認していない以上、正確な結論は得られない旨主張するが、右売却による物品税納付義務の発生ないし物品税額を認めるに足りる証拠はなく、また、現金残高が実額で確認されていなくても、前記各売掛金残高を認定することは可能であるから、右主張は採用しない。

(9) 棚卸商品

前掲乙第五四号証、証人佐伯廉の証言により真正に成立したものと認められる乙第二二号証の二、第二四号証及び右証言によると、被告の所得税調査担当者は、前記押収に係る金銭出納簿中の主人渡し等の記載について亡修郎の説明を求めた我、右説明により右金銭出納簿中の支出金額のうち、昭和四四年中に古美術品の仕入れに充てられたものと認められる金額を集計すると、合計五三八万四八〇〇円となり、一方、同年中に売却された古美術品の原価は、二九〇万円であることが認められるから、右仕入金額から右売上原価を控除した二四八万四八〇〇円をもつて同年一二月三一日現在の古美術品の棚卸商品の金額と認めるのが相当である。

原告らは、売上の原因となつた物品の減少分を資産計算に入れないのは、不合理であり、また、現金の残高を確認していない以上、正しい結論は得られない旨主張するが、棚卸商品の金額の算定に当たつては、期中の売上に係る商品の原価を控除し、これを考慮していることは前認定のとおりであり、また、棚卸商品の金額は、現金残高と関係なく認定し得るものであるから、原告らの主張はいずれも失当である。

(10) 西条土地

亡修郎が昭和三九年八月三一日訴外藤田正明から西条土地を買い受け、同四五年一二月三一日まで所有していたことは、当事者間に争いがない。

証人田村精三の証言により真正に成立したものと認められる乙第九号証の一、二、成立に争いのない乙第五八号証の一ないし二二、証人田村精三、同広光喜久蔵の各証言によると、亡修郎と右藤田との間の西条土地の売買に関与した司法書士の訴外上田学は、被告の所得税調査担当者の質問に対し、最上土地の右売買価額は、七〇万円から七五万円であつた旨答述していること、訴外山中果樹生産組合は、昭和四〇年に西条土地の隣接地を買い受けたが、右売買価額は、最高でも一反(九九一・七三平方メートル)当たり三万五〇〇〇円であつたことが認められる。西条土地の面積は、合計一万六九四四平方メートルであるから、右三万五〇〇〇円の単価により西条土地の価額を計算すると、五九万七九八五円となる。

原告らは、西条土地の取得価額は、五〇〇万円であると主張し、証人金子郁子は、同旨の証言をしているが、その裏付けとなるような契約書、領収書等の的確な証拠がないので、直ちにこれを採用することはできず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

したがつて、西条土地の取得価額は、被告主張の七五万円を超えることはないものと認められる。

原告らは、被告が西村土地を一八〇〇万円(反当たり約一四六万円)と評価しながら、西条土地をわずか七五万円(反当たり四万円)と評価するのは、極めて不合理であると主張するが、成立に争いがない乙第六二号証の一ないし四及び証人広光喜久蔵の証言によると、両土地は、所在位置が相当相違していることが認められるから、両土地の価額に差異があるからといつて直ちに不合理であるとはいえない。

(11) 渋川土地建物

亡修郎が昭和三九年一二月一一日渋川土地建物を代金五〇〇万円で競落し、同四〇年一月二一日ころ競落代金を支払つてその所有権を取得し、同四六年一二月二七日に他に売り渡すまでこれを所有していたことは、当事者間に争いがない。

証人田村精三の証言により真正に成立したものと認められる乙第七号証及び右証言によると、亡修郎は、昭和三九年ないし同四三年に渋川土地建物の取得費の附帯費用として、被告主張(被告の主張1(一)(2)サb記載)のとおりの年月日にその主張のとおりの金額を支出した事実が認められ、これに反する証拠はない。

したがつて、右附帯費用を含めて算定すると、渋川土地建物の昭和四〇年一月一日及び同年から同四四年までの各一二月三一日現在における価額(ただし、同四〇年一月一日については、前払費用)は、被告主張(前記サc記載)のとおりとなることが認められる。

(12) 西村土地

前掲甲第二、第三、第七、第八号証、乙第八号証の一ないし五、七、証人広光喜久蔵の証言により真正に成立したものと認められる乙第八号証の六及び右証言を総合すると、前記(4)認定のとおり、亡修郎は、昭和四〇年三月一八日訴外みどり農園に対する五〇〇万円の貸付金の担保として、訴外西村らと西村土地につき抵当権設定契約及び停止条件付代物弁済契約を締結したが、訴外みどり農園の債務不履行により、右停止条件が成就したので、亡修郎は、訴外西村らから西村土地の所有権移転登記手続に必要な書類一式の交付を受けた上、同年六月一〇日訴外渡部徳一にこれを売却処分した上、同人名義に所有権移転登記をしたが、同年九月二九日知人の訴外阿慈谷孝の名義を借用して右渡部から西村土地を買い受け、同年一〇月一日右阿慈谷孝名義で、更に同年四三年一一月七日自己名義で所有権移転登記を各経由したことが認められる。

右認定の事実によると、西村土地は、前示停止条件付代物弁済契約の趣旨に従つて、第三者に売却処分された後、亡修郎が昭和四〇年九月二九日これを買い受け、その所有権を取得したものと認められる。

次に、西村土地の価額について判断するに、前掲乙第八号証の一、成立に争いのない乙第八号証の一〇ないし一二及び証人広光喜久蔵の証言を総合すると、西村土地は、亡修郎の抵当権が設定されてから約一箇月後に、訴外西村らから訴外株式会社中国オートセンターに譲渡され、調和四〇年月二八日ころ、同株式会社と訴外みどり農園との間で、西村土地と訴外みどり農園所有の大嶽山の土地との交換契約がなされたこと、大嶽山は、同年五月二二日極度額総額一八〇〇万円の根抵当権が設定されていたことが認められる。

被告は、右根抵当権設定の事実からして大嶽山の土地の価額は、昭和四〇年当時一八〇〇万円以上であり、したがつて、これと交換された西村土地の昭和四〇年当時の価額も少なくとも一八〇〇万円であつた旨主張するが、右のような推論により直ちに西村土地の価額が少なくとも一八〇〇万円であつたと認めるのは困難であるといわざるを得ない。

しかして、成立に争いがない乙第六七、第六八号証、第七〇号証の一、二、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるので、真正に公文書と推定される乙第六四、第六九号証(ただし、第六九号証添付の土地売買契約書及び売渡証書の成立の認定は、後記乙第六五、第六六号証のとおり)、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第六五、第六六号証湯第六六号証中、官署作成部分の成立は争いがない。)及び弁論の全趣旨を総合すると、訴外後藤春子は、昭和三九年二月八日訴外明治不動産株式会社(以下「訴外明治不動産」という。)から広島県賀茂郡八本松町大字米満字片山二〇三番二、二〇六番二四山林八〇〇坪(実測)を代金二四〇万円(坪当たり三〇〇〇円)で買い受けたこと、西村土地は、右山林の近傍地に位置していること、右両土地を含む周辺一帯の土地は、訴外明治不動産が山林を一括購入した上、いわゆる土地ころごしを目的とした利殖のために販売したものであり、西村土地も訴外明治不動産が取り扱つた物件であることが認められる。

右認定の事実によると、西村土地の近傍地の昭和三九年二月当時の価額は、坪当たり三〇〇〇円であつたものと認められるところ、亡修郎が西村土地の所有権を取得したのは、前記認定のとおり右後藤が購入した日から一年以上経過した昭和四〇年九月であること、前記のとおり西村土地を含む周辺一帯の土地は、投機目的のために売買の対象とされていたことなどの事情に照らすと、西村土地周辺の土地の昭和四〇年九月当時の価額は、坪当たり三〇〇〇円を下回ることはなかつたものと認められる。

そして、前掲甲第二号証、乙第八号証の二ないし五によれば、西村土地の面積は、合計一万二三二一平方メートル(三七二七坪)であると認められるから、近傍地の右売買実例により西村土地の昭和三九年二月当時の価額を評価すると、一一一八万一〇〇〇円となる。

したがつて、亡修郎が西村土地を取得した昭和四〇年九月当時、その価額は、右金額を下回ることはなかつたものと認められる。

(13) 生活費

前掲乙第五四号証、証人佐伯廉の証言により真正に成立したものと認められる乙第二二号証の一、第二三号証の一ないし五及び右証言によると、次のとおり認められる。

前記金銭出納簿に基づいて、亡修郎の昭和四四年分の生活費関係の支出を抽出すると、別表4の昭和四四年分生活費の「生活費の金額<1>」欄記載のとおりであつて、同年分の生活費は、合計三七七万四七五一円である(同年に特有な臨時的支出が一一三万七一九二円であり、これを控除した恒常的生活費が二六三万七五五九円である。)。昭和四〇年から同四三年までの生活費については、記帳がなく、実額で算定することができない。そこで、右四四年分の生活費のうち、同年に特有の臨時的支出を控除し、他の年分にも適合する生活費を求めると、二六三万七五五九円となる。そして、総理府統計局作成の家計調査年報により、広島市における同四四年分の生活費支出額を一〇〇とした場合の同四〇年から同四三年までの各年分の比率を計算すると、昭和四〇年分が六一・六パーセント、同四一年が七四・一パーセント、同四二年が八三・三パーセント、同四三年が八八・七パーセントとなるので、前記生活費二六三万七五五九円に右割合を乗じて右各年分の生活費を推計すると、被告主張のとおりの額となる。

(14) 改造費

前掲乙第五四号証によれば、亡修郎は、昭和四四年に居住家屋の改造費一三万五〇〇〇円を支出したことが認められる。

(15) 支払利息

成立に争いがない乙第一〇ないし第一三号証、証人田村精三の証言により真正に成立したものと認められ乙第一四、第五一号証、証人金森幹雄の証言により真正に成立したものと認められる乙第一五号証の一、二、証人田村精三、同金森幹雄、同金子郁子の各証言によると、亡修郎は、別表6の不動産取得の明細記載のとおり不動産を取得したが、その資金に充てるため、広島信用金庫銀山支店から融資を受け、その利息として昭和四二年に二三万二四〇〇円、同四三年に二八九万三九〇〇円、同四四年に三三四万七八二五円を支払つたこと、右不動産は、昭和四五年夏に訴外山田芳典に賃貸するまで亡修郎の事業の用に供されていなかつたことが認められる。

したがつて、右支払利息は、亡修郎の事業所得の必経費とならず、資産負債の増減法により事業所得金額を算定する場合には、加算の対象なるものというべきである。

(16) 預金利子

亡修郎名義の預金のほか、金子郁子、同富久子、同政(正)子、同タカ、宮本正、松島修一、河井一之、梅田孝光、藤岡勝、河内一之、三浦正敏、加藤巌、河野一三及び吉森博明名義の各預金が亡修郎に帰属するものであることは、前記(1)認定のとおりであり、これらの預金に対し5の預金利子明細表一ないし五記載のとおり利子の支払がなされたことが同表書証番号欄記差の前掲乙号各証及び証人広光喜久蔵の証言により認めることができる。

(四)  以上の認定に照らすと、別表2の資産負債調の「科目番号5」欄(貸付金みどり農園分)の昭和四〇年分ないし同四四年分の各「一二月三一日」及び同四〇年分の「差引増減額」の各欄がいずれも零となり、同「科目番号23の3」欄(土地西村分)の昭和四〇年分ないし同四四年分の各「一二月三一日」及び同四〇年分の「差引増減額」の各欄がいずれも一一一八万一〇〇〇円となるべきである点において、被告の主張は失当たるを免れないが、その余の各科目についての被告の主張は正当というべきである。

右貸付金みどり農園分及び土地西村分についての金額の誤りは、昭和四一年分ないし同四四年分の各「差引増減額」欄に影響せず、したがつて右各年分の事業所得金額の計算に影響しない。

次に、右認定金額に基づいて、亡修郎の昭和四〇年分の事業所得金額を計算すると、その額は、九三一万五一八五円(右資産負債調の昭和四〇年分の「<3>差引増減額」欄の「増減科目番号42」欄(事業所得金額)の二一一三万四一八五円から、貸付金みどり農園分五〇〇万円及び土地西村分の被告主張額一八〇〇万円と右認定額一一一八万一〇〇〇円との差額六八一万九〇〇〇円、合計一一八一万九〇〇〇円を差し引いた金額)となり、本件更正処分において被告の認定した事業所得金額四七二万一四四八円を上回る。

したがつて、亡修郎の昭和四〇年分ないし同四四年分の事業所得の金額は、本件各更正処分の認定に係る所得金額を下回ることはないものというべきである。

2  事業所得以外の所得

(二) 昭和四五年分不動産所得

亡修郎が同年分の不動産所得につき、被告主張のとおりの申告をしたこと、同年分の不動産所得に係る収入金額及び必要経費(支払利息を除く。)が被告主張のとおりの額であることは、当事者間に争いがない。そこで、支払利息について判断するに、前掲乙第一〇ないし第一三、第一四号証、第一五号証の一、二、証人田村精三の証言により真正に成立したものと認められる乙第一六ないし第一八号証及び証人田村精三、同金森幹雄の各証言によると、亡修郎は、別表6の不動産取得の明細記載のとおり番号<1>ないし<3>の各不動産を購入したこと、右購入資金(経費を含む。)は、広島信用金庫銀山支店及び広島銀行銀山支店からの借入金によつて賄われたこと、右借入金について昭和四五年中に同人が支払つた利息の明細は、別表8の支払利息の計算記載のとおりであつて、総額三一〇万二九七四円であること、同人は、昭和四五年夏ころから同四六年春ころまで訴外山田芳典右番号<1>の不動産を賃料一箇月二万五〇〇〇円で賃貸していたことが認められる。

原告らは、右不動産のみでなく、右番号<2>、<3>の土地も賃貸していた旨主張し、証人金子郁子の証言中には、これに添う部分があるが、前掲乙第一五号証の一、二及び証人金森幹雄の証言によると、右番号<2>及び<3>の土地は、地上の建物を取り毀した跡の荒地であり、亡修郎が取得以来放置していたため、近所からその管理について苦情が出ていたことから、亡修郎は、右訴外山田に右<1>の不動産を賃貸する際、右<2>及び<3>の土地の整備及び管理を依頼していたにすぎず、右<2>及び<3>の土地は、賃貸の対象とされていなかつたものと認められるから、右証言は、採用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで、不動産所得とは、不動産等の貸付けによる所得(所得税法二六条一項)であるから、不動産の取得に充てられた借入金に係る支払利息が不動産所得の必要経費とされるのは、該不動産が所得の基因となる貸付けに供される場合に限られるものである。そして、前認定のとおり、前記番号<2>及び<3>の土地は貸付けに供されていなかつたのであるから、右各土地取得に当たられた借入金の支払利息は、必要経費とはならず、前記番号<1>の不動産取得に充てられた借入金の支払利息のみが必要経費となるものというべきである。

そこで、前記番号<1>ないし<3>の不動産の総所得金額に対する前記番号<1>の不動産の取得金額の構成比率を求めると、三八パーセントになり、前記認定の支払利息三一〇万二九七四円にこれを乗ずると、一一七万九一三〇円となるので、これをもつて前記番号<1>の不動産を取得するために要した借入金の昭和四五年中の支払利息と認めるのが相当である。前記争いのない収入金額三〇万円から必要経費七万二〇〇〇円(支払利息を除く。)及び右認定の支払利息一一七万九一三〇円を差し引いた九五万一一三〇円の欠損となる。

(二) 昭和四五年分分離長期譲渡所得

亡修郎が昭和三九年八月三一日訴外藤田正明から西条土地を取得し、昭和四五年一二月三一日同土地を訴外東敏丸及び同末中津に売り渡したこと、亡修郎が西条土地の譲渡につき被告主張のとおりの分離長期譲渡所得の申告をしたこと、右譲渡に係る収入金額及び必要経費が被告主張のとおりであることは、当事者間に争いがなく、西条土地の取得価額が七五万円を超えるものではないことは、前記1(10)認定のとおりである。

そこで租税特別措置法三一条に基づき、右争いのない収入金額二〇〇〇万円から右取得価額七五万円及び必要経費四〇万円を差し引き、更に特別控除額一〇〇万円を控除して、亡修郎の分離長期譲渡金額を計算すると、一七八五万円となるから、右譲渡所得に係る被告の更正処分(一七六〇万円)は、右認定の所得金額の範囲内でなされたことになる。

(三) 昭和四六年分分離長期譲渡所得

亡修郎が昭和四〇年一月二一日競落により渋川土地建物の所有権を取得し、同四六年一二月二七日訴外脇田ハツミに譲渡したこと、亡修郎が右譲渡につき被告主張のとおり分離長期譲渡所得の申告をしたこと、右譲渡に係る収入金額及び必要経費主張のとおりであることは、当事者間に争いがない。

ところで、租税特別措置法三五条一項に規定する家屋は個人が居住の用に供している家屋とされているから、亡修郎が渋川土地建物に居住した事実があるか否かについて検討するに、前掲乙第五七号証、証人福田宏の証言により真正に成立したものと認められる乙第二号証の一、二、四ないし七、証人金森幹雄の証言により真正に成立したものと認められる同号証の三、証人金子郁子、同福田宏、同金森幹雄の各証言及び弁論の全趣旨によると、亡修郎は、昭和三三年ころから広島市中区平塚二番二二号所在の借家に妻及び長女と居住し、同所において「大和屋」の商号で質業、金融業、古物業及び貴石製品等のほかに同区銀山町の店舗において「三越百貨」の商号で古美術販売業を始めたこと、亡修郎が渋川土地建物を取得した当時、訴外坂本太郎が右建物に居住していたが、同訴外人は、昭和四五年一〇月ころ退去し、その後、右建物は、空家になつていたこと、同四六年八月末から同四七年一月中旬まで訴外松井哲彦が右建物に居住していたこと、亡修郎は、右建物の所有地へ昭和四六年一一月五日転居したとして同月一八日付けで住民登録をしているが、同建物の近隣の者は、そのころ訴外松井一家が同建物に居住していたのは、現認しているが、右一家のほかに、亡修郎ないしその家族が居住していたのは、全く現認していないこと、また、昭和四六年八月末から同四七年一月中旬までの渋川建物の水道及び電気の使用者名義人は訴外松井哲彦であつて、亡修郎が右土地建物に現に居住していたことを窺わせる客観的資料は全くないこと、なお、訴外脇田ハツミは、昭和四六年一一月終りころ渋川土地建物を購入する話があつた際、亡修郎の妻である原告郁子から、渋川建物は、空家にしておくと用心が悪いので、留守番を置いている旨聞いていることが認められ、証人金子郁子の証言中、右認定に反する部分は、措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、亡修郎は、昭和四六年当時、前記西平塚町の借家に居住していたのであつて、渋川建物に居住したことはないものと認められる。

証人金子郁子は亡修郎が長女が通学していた学校を嫌い、転校するために、昭和四六年九月に渋川建物に転居し、四箇月間居住した旨証言しているが、長女の学校の関係で渋川建物に転居したのにわずか四箇月で再度転居したというのは不自然であるばかりでなく、原告らは、質屋営業はの店舗に夜間寝泊りすることに危険を感じ、渋川建物に居住した旨主張しているのであつて、右証言と喰い違つており、右証言は、にわかに信用し難い。

そうすると、渋川土地建物の譲渡所得については、租税特別措置法三五条一項の適用はなく、同法三一条二項により、その特別控除額は一〇〇万円となる。

したがつて、渋川土地建物の譲渡による亡修郎の昭和四六年分の分離長期譲渡所得金額は、右譲渡に係る収入金額一六六〇万円から必要経費六六四万九六九〇円を差し引き、右特別控除額を控除して計算すると、八九五万〇三一〇円となる。

3  以上のとおりであるから、被告のなした本件各更正処分には、何らの違法もなく、適法なものと認められる。

三  次に、本件各賦課決定処分の違法性の有無について判断する。

1  過少申告加算税

右一、二で述べたところによると、亡修郎には、昭和四〇年分ないし同四五年分の所得につき過少申告の事実があることが明らかであるから、国税通則法六五条一項に該当する。そして、本件各更正処分に基づいて納付すべき税額から亡修郎の申告(昭和四〇年分ないし同四四年分については、修正申告、同四五年分については、確定申告)に基づいて納付すべき税額及び後記重加算税の基礎となる税額を差し引き、過少申告加算税の計算の基礎となる税額を求めると、被告主張のとおりとなる。

したがつて、同条に基づいて右税額を基礎としてなされた本件各過少申告加算税決定処分には、何ら違法はなく、適法というべきである。

2  重加算税

前記二1(一)認定のとおり亡修郎は、法定帳簿によつて昭和四〇年分ないし同四四年分所得税の申告をしていたこと、同人の昭和四四年分の裏帳簿(乙第五四ないし第五六号証)には、同人の貸付等の一切の営業取引が記載されていたが、右帳簿及び同人の売上の一部を記載した同人のメモ(乙第三七第三八号証)と同年分の法定帳簿とを比較すると、法定帳簿には、裏帳簿等に記載されている多数の取引が全く記載されていないほか、法定帳簿に記載されている取引のうち、相当数のものについて減額偽記されていたこと、右のような法定帳簿への記帳除外ないし減額偽記は、昭和四〇年分ないし同四三年分の取引についても、同四〇年と同様になされていたこと、同人は、架空又は仮装名義預金口座を設け、昭和四〇年分ないし同四四年分の所得を隠ぺいしていたことが認められ、証人金子郁子の証言中、右認定に反する部分は、措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、亡修郎は、昭和四〇年分ないし同四四年分の取引について、貸付金額ないし売上金額等の取引金額の一部を除外し、これを架空又は仮装名義預金口座に預け入れて隠ぺいし、右除外したところに基づいて過少の所得税確定申告書を提出したものと認められるから、同人は、所得税の課税標準等又は税額等の計算の基礎となるべき事実の一部を隠ぺいし、その隠ぺいしたところに基づき納税申告書を提出していたものというべきであり、右は、国税通則法六八条一項の規定に該当する。

ところで、重加算税額は、一部隠ぺい又は仮装があつたときは、更正処分に基づき新たに納付すべきこととなつた税額(いわゆる増差税額)から、隠ぺいし、又は仮装されていない事実のみに基づいて更正処分があつたものとして計算した増差税額部分(前認定の亡修郎の所得金額、納税申告額、同人の他人名義の預金額等に照らすと、本件更正処分に係る所得金額のうち、隠ぺい仮装されていないものと認められる所得金額が別表1の課税処分表一ないし五記載の被告の認定額を上回わらないことが明らかである。)を控除した残余の税額を計算の基礎とする。

そこで、昭和四〇年分ないし同四四年分の本件各更正処分に基づいて納付すべき税額から、修正申告に基づいて納付すべき税額を差し引き、更に更正処分に係る所得金額のうち、右隠ぺい仮装されていない所得金額に基づいて更正があつたとした場合の税額から修正申告に基づいて納付すべき税額を差し引いた税額を控除して、重加算税の計算の基礎となる税額を計算すると、被告主張のとおりとなる。

したがつて、国税通則法六八条一項の規定に基づいて右税額を基礎としてなされた本件各重加算税賦課決定処分には、何ら違法はなく、適法というべきである。

四  次に処分の期間制限について判断するに、前認定によれば亡修郎は、昭和四〇年分ないし同四二年分の各所得について偽りその他不正の行為によりその一部の税額を免れたものと認められる。したがつて、右所得税についての更正又は賦課決定は、国税通則法(昭和五六年法律第五四号による改正前のもの)七〇条二項四号の規定により右各所得税の法定申告期限ないし課税標準申告書の提出期限から五年を経過する日まで、することができるから、右各所得税に係る本件各更正及び各賦課決定処分は、同法所定の制限経過前になされたものであり、制限期間経過後になされた違法があるものということはできない。

五  最後に、調査手続の違法性の有無について判断する。

原告らは、被告の調査手続が所得税法二三四条二項の規定の趣旨に反する旨主張するが、右規定は、同条一項の規定による国税庁、国税局又は税務署の職員の質問又は検査の権限を犯罪捜査に利用することを禁止する趣旨であり、国税犯則取締法に基づく調査によつて得られた資料を徴税の資料として利用することまで禁ずる趣旨ではない。したがつて、国税犯則取締法に基づき収集した資料を所得税の課税資料として利用しても所得税法二三四条二項の規定の趣旨に反するものとはいえず、原告らのこの点に関する主張は採用の限りではない。

六  以上の説示に照せば、原告らの本訴請求は、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行訴法七条、民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高升五十雄 裁判官平弘行は、差支につき、同重富朗は、転補につき署名、押印することができない。裁判長裁判官 高升五十雄)

別表1 課税処分表一

昭和40年分

<省略>

注1 13の過少申告加算税の計算の「基礎となる税額」の算出根拠

更正処分に基づいて納付すべき税額1,238,400円から修正申告に基づいて納付すべき税額73,000円を差し引き(国税通則法65条1項)、更に17の重加算税の基礎となる税額254,800円(この算出方法は注2のとおり。但し同法118条3項適用前の金額)を差し引いた税額910,600円(同法68条1項の規定により隠ぺい仮装部分については過少申告加算税の額の計算の基礎となるべき税額に係る過少申告加算税に代え重加算税を課することとなるから、過少申告加算税の基礎となる税額から重加算税の基礎となるべき税額を控除する。)について同法118条の規定により1,000円未満の端数金額を切り捨てた910,000円が過少申告加算税の計算の基礎となる税額である。

注2 17の重加算税の計算の「基礎となる税額」の算出根拠

更正処分に基づいて納付すべき税額1,238,400円から修正申告に基づいて納付すべき税額73,000円を差し引き、更に次により計算した税額910,600円を控除した税額254,800円(国税通則法68条1項かっこ書)について、同法118条3項の規定により1,000円未満の端数金額を切り捨てた254,000円が重加算税の計算の基礎となる税額である。

上記の控除税額910,600円の計算方法

更正処分に係る所得金額のうち、隠ぺい仮装されていないと被告が認定した所得金額は4,084,129円であるところ、これのみに基づいて更正があったものとした場合の税額983,600円(所得金額4,084,129円から「3の所得金額から差し引かれる金額」745,073円を控除した3,339,000円((3,339,056円について同法118条1項の規定により1,000円未満の端数金額を切り捨てた。))に所得税法83条に定める税率を適用して計算した税額)から修正申告に基づいて納付すべき税額73,000円を差し引くと910,600円となる。(国税通則法施行令28条1項)。

課税処分表二

昭和41年分

<省略>

注1 13の過少申告加算税の計算の「基礎となる税額」の算出根拠

更正処分に基づいて納付すべき税額1,081,100円から修正申告に基づいて納付すべき税額67,600円を差し引き(国税通則法65条1項)、更に17の重加算税の基礎となる税額188,000円(この算出方法は注2のとおり。)を差し引いた税額825,500円(同法68条1項の規定により隠ぺい仮装部分については過少申告加算税の額の計算の基礎となるべき税額に係る過少申告加算税に代え重加算税を課することとなるから、過少申告加算税の基礎となる税額から重加算税の基礎となるべき税額を控除する。)について同法118条3項の規定により1,000円未満の端数金額を切り捨てた825,000円が過少申告加算税の計算の基礎となる税額である。

注2 17の重加算税の計算の「基礎となる税額」の算出根拠

更正処分に基づいて納付すべき税額1,081,100円から修正申告に基づいて納付すべき税額67,600円を差し引き、更に次により計算した税額825,500円を控除した税額188,000円(国税通則法68条1項かっこ書)が重加算税の計算の基礎となる税額である。

上記の控除税額825,500円の計算方法

更正処分に係る所得金額のうち、隠ぺい仮装されていないと被告が認定した所得金額は4,008,975円であるところ、これのみに基づいて更正があったものとした場合の税額893,100円(所得金額4,008,975円から「3の所得金額から差し引かれる金額」744,260円を控除した3,264,000円((3,264,715円について同法118条1項の規定により1,000円未満の端数金額を切り捨てた。))に昭和41年法律第31号附則3条2項に基づき附則別表第1により計算した税額893,170円について国税通法119条1項の規定により100円未満の端数金額を切り捨てた。)から修正申告に基づいて納付すべき税額67,600円を差し引くと825,500円となる。(同法施行令28条1項)。

課税処分表三

昭和42年分

<省略>

注1 14の過少申告加算税の計算の「基礎となる税額」の算出根拠

更正処分に基づいて納付すべき税額2,087,300円から修正申告に基づいて納付すべき税額122,800円を差し引き(国税通則法65条1項)、更に18の重加算税の基礎となる税額1,365,100円(この算出方法は注2のとおり。但し同法118条3項適用前の金額)を差し引いた税額599,400円(同法68条1項の規定により隠ぺい仮装部分については過少申告加算税の額の計算の基礎となるべき税額に係る過少申告加算税に代え重加算税を課するから、過少申告加算税の基礎となる税額から重加算税の基礎となるべき税額を控除する。)について同法118条3項の規定により1,000円未満の端数金額を切り捨てた599,000円が過少申告加算税の計算の基礎となる税額である。

注2 18の重加算税の計算の「基礎となる税額」の算出根拠

更正処分に基づいて納付すべき税額2,807,300円から修正申告に基づいて納付すべき税額122,800円を差し引き、更に次により計算した税額599,400円を控除した税額1,365,100円(国税通則法68条1項かっこ書)について同法118条3項の規定により1,000円未満の端数金額を切り捨てた1,365,000円が重加算税の計算の基礎となる税額である。

上記の控除税額599,400円の計算方法

更正処分に係る所得金額のうち、隠ぺい仮装されていないと被告が認定した所得金額は3,699,904円であるところ、これのみに基づいて更正があったものとした場合の税額722,200円(所得金額369,904円から「4の所得金額から差し引かれる金額」832,244円を控除した2,867,000円((2,867,660円について同法118条1項の規定により1,000円未満の端数金額を切り捨てた。))に昭和42年法律第20号附則3条2項に基づき附則別表第1により計算した税額722,250円について国税通則法119条第1項の規定により100円未満の端数金額を切り捨てた。)から修正申告に基づいて納付すべき税額122,800円を差し引くと599,400円となる。(同法施行令28条1項)。

課税処分表四

昭和43年分

<省略>

注1 14の過少申告加算税の計算の「基礎となる税額」の算出根拠

更正処分に基づいて納付すべき税額2,941,300円から修正申告に基づいて納付すべき税額278,300円を差し引き(国税通則法65条1項)、更に18の重加算税の基礎となる税額1,896,400円(この算出方法は注2のとおり。但し同法118条3項適用前の金額)を差し引いた税額766,600円(同法68条1項の規定により隠ぺい仮装部分については過少申告加算税の額の計算の基礎となるべき税額に係る過少申告加算税に代え重加算税を課することとなるから、過少申告加算税の基礎となる税額を控除する。)について同法118条の規定により1,000円未満の端数金額を切り捨てた766,000円が過少申告加算税の計算の基礎となる税額である。

注2 18の重加算税の計算の「基礎となる税額」の算出根拠

更正処分に基づいて納付すべき税額2,941,300円から修正申告に基づいて納付すべき税額278,300円を差し引き、更に次により計算した税額756,600円を控除した税額1,896,400円(国税通則法68条1項かっこ書)について同法118条3項の規定により1,000円未満の端数金額を切り捨てた1,896,000円が重加算税の計算の基礎となる税額である。

上記の控除税額766,600円の計算方法

更正処分に係る所得金額のうち、隠ぺい仮装されていないと被告が認定した所得金額は4,550,588円であるところ、これのみに基づいて更正があったものとした場合の税額1,044,900円(所得金額4,550,588円から「4の所得金額から差し引かれる金額」861,145円を控除した3,689,000円((3,689,443円について同法118条1項の規定により1,000円未満の端数金額を切り捨てた。))に昭和43年法律第21号附則3条2項に基づき附則別表第1により計算した税額)から修正申告に基づいて納付すべき税額278,300円を差し引くと766,600円となる(同法施行令28条1項)。

課税処分表五

昭和44年分

<省略>

注1 13の過少申告加算税の計算の「基礎となる税額」の算出根拠

更正処分のうち異議決定で維持された限度において納付すべき税額6,280,600円から修正申告に基づいて納付すべき税額292,500円を差し引き(国税通則法65条1項)、更に17の重加算税の基礎となる税額211,800円(この算出方法は注2のとおり、但し同法118条3項適用前の金額)を差し引いた税額5,776,300円(同法68条1項の規定により隠ぺい仮装部分については過少申告加算税の額の計算の基礎となるべき税額に係る過少申告加算税に代え重加算税を課することとなるから、過少申告加算税の基礎となる税額から重加算税の基礎となるべき税額を控除する。)について同法118条3項の規定により1,000円未満の端数金額を切り捨てた5,776,000円が過少申告加算税の計算の基礎となる税額である。

注2 17の重加算税の計算の「基礎となる税額」の算出根拠

更正処分のうち異議決定で維持された限度において納付すべき税額6,280,600円から修正申告に基づいて納付すべき税額292,500円を差し引き、更に次により計算した税額5,776,300円を控除した税額5,776,300円を控除した211,800円(国税通則法68条1項かっこ書)について、同法118条3項の規定により1,000円未満の端数金額を切り捨てた211,000円が重加算税の計算の基礎となる金額である。

上記の控除税額5,776,300円の計算方法

異議決定において維持された所得金額のうち、隠ぺい仮装されていないと被告が認定した所得金額は14,866,380円であるところ、これのみに基づいて更正があったものとした場合の税額6,068,800円(所得金額14,866,380円から「3の所得金額から差し引かれる金額」1,028,901円を控除した13,837,000円((13,837,479円について同法118条1項の規定により1,000円未満の端数金額を切り捨てた。))に昭和44年法律第14号附則3条2項に基づき附則別表第1により計算した税額6,068,850円について同法119条第1項の規定により100円未満の端数金額を切り捨てた。)から修正申告に基づいて納付すべき税額292,500円を差し引くと5,776,300円となる(国税通則法施行令28条1項)。

課税処分表六

昭和45年分

<省略>

注 19の過少申告加算税の計算の「基礎となる税額」の算出根拠

更正処分のうち裁決で維持された限度において納付すべき税額1,851,500円から確定申告に基づいて納付すべき税額1,249,400円を差し引いた税額602,100円(国税通則法65条1項)について同法118条3項の規定により1,000円未満の端数金額を切り捨てた602,000円が過少申告加算税の計算の基礎となる税額である。

課税処分表七

昭和46年分

<省略>

別表2 資産負債調

<省略>

<省略>

不動産所得 4,900

他所得 6,869,904

別表3 預金残高明細表一

昭和四〇年一月一日現在

<省略>

預金残高明細表二

昭和四〇年一二月三一日現在

<省略>

<省略>

預金残高明細表三

昭和四一年一二月三一日現在

<省略>

<省略>

預金残高明細表四

昭和四二年一二月三一日現在

<省略>

<省略>

預金残高明細表五

昭和四三年一二月三一日現在

<省略>

<省略>

<省略>

預金残高明細表六

昭和四四年一二月三一日現在

<省略>

<省略>

<省略>

別表4 昭和四四年分生活費

<省略>

別表5 預金利子明細表二

(昭和四〇年分)

<省略>

預金利子明細表二

(昭和四一年分)

<省略>

<省略>

預金利子明細表三

(昭和四二年分)

<省略>

預金利子明細表四

(昭和四三年分)

<省略>

<省略>

預金利子明細表五

(昭和四四年分)

<省略>

<省略>

別表6 不動産取得の明細

<省略>

別表7 不動産取得のための借入明細書(広島信用金庫銀山支店)

<省略>

別表8 支払利息の計算

<省略>

昭和45年中支払額3,102,974円

<1>+<3>+<5>

別表9 資産負債調

<省略>

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